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歴史上の人物、有名人芸能人、政治家・・・・・。
誰もが知ってる著名人は、残した実績、物、言葉で評価されています。
そんな偉大な人達から学びます
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浅井長政 / 舛添要一

2007/12/21 01:16
義兄 信長に反旗を翻した浅井長政。

朝倉が滅んで援護が無くなり、秀吉に攻められて進退がきわまった。

諸説諸々あるが、義兄 信長は降伏すれば命は助けると申し出たと言われる。

信長の言葉を信用し切れないとは言え、死を前にすれば心は揺れるはず。

しかし、
自分の取った行動の責任を取り、部下ともども果てていった。


調子のいい言葉を繰り返し、薬害、年金被害者たちをぬか喜びさせた挙句、

知らん振りを決め込む私は、

浅井長政先生に習いたかった。
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山本五十六 / 朝青龍

2007/12/01 03:12
日独伊同盟に反対し、アメリカ相手の喧嘩に最後まで反対した山本五十六。


戦争の現場での経験が少ないが故に、飛行機の重要性に気付いたと言われている。


「やってみせ 言って聞かせて させて見せ ほめてやらねば 人は動かじ」

「苦しいこともあるだろう 言いたいこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣きたいこともあるだろう これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である」など、

多くの言葉を残したが、実際はそれほど温か味のある人ではなかったとも言われている。


大関の地位に安住し、八百長を繰り返したと言われる高砂親方。

どっぷりと相撲文化に浸かりきり、いまさら変われない高砂親方。

自分とは目も合わさず、口も聞かない高砂親方。


名言を残した通りの人ならば、

山本五十六先生に習いたかった。
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先生 黒田如水 / 生徒 守屋前防衛省事務次官

2007/11/18 23:01
様々な逸話を残した黒田官兵衛。(Wikipedia

息子(長政)が自分の活躍を家康に誉められた事を喜ぶ姿に、

「その時、お前のもう片方の手は何をしていた?」


信長が没し、動揺する秀吉に

「御運が開かれる機会が参りましたな」


秀吉が家臣に対し「次に天下を取るものは?」を問い、前田、徳川の声が多い中、

「秀吉、常に世に怖しきものは徳川と黒田なり・・」と言わしめた。


その切れ者ぶりから様々に疑われ、野心を抱く人と思われているが、

息子を匿ってくれた竹中半兵衛への恩義を忘れないために竹中の家紋を使った事や、
決して寝返らず、牢に閉じ込められた事、
遺訓「人に媚びず、富貴を望まず」などがこの人の本質とする人は多い。


何百回とゴルフに連れていってもらい、子供の留学の面倒もみてもらったと噂され、

「罪になるなら、逃げるつもりはない」と、当たり前の事を口走り、

おねだりを重ねたと言われる私は、

あるのかないのか分からない欲を疑われ、ことさらに自分の爪を隠さなければならなかった
黒田先生に学びたかった。

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先生 徳川家康/生徒 小沢一郎

2007/11/08 15:35
三河の小国に生まれ、右へ左へ人質に取られた。

信長に疑われ、期待の長男に切腹させた。

天下が手に入ると思ったら、秀吉にさらわれた。


自分の年齢や、当時の寿命を考えれば、

大勝負に出てもおかしくなかったが、我慢して力を溜めた。

策をめぐらし、大勝負に出て勝ったが、すぐに天下は手に入らない。

冬の陣、夏の陣を乗り越えてやっと、やっとたどり着いた。


「東北人だから口下手だった」 「気力が切れてしまった」と、

軽はずみな行動を恥じている私は、

家康先生に習いたかった。
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先生 島津義弘 / 生徒 落合博光

2007/11/03 11:44
秀吉の命を受け戦った朝鮮では、「鬼島津(グイシーマンヅ)」と恐れられた島津義弘

国許の兄(義久)と上手くいってなかったため1500人しか動員できなかったが、

家康の要請に応えて伏見城に出向く。しかし、連絡ミスが原因で入城を拒否され、怒って西軍へ。

勝つために全力を尽くそうとするが、自分の策は受け入れられず、へそを曲げた。

様々な不測の事態に遭遇し、自分の出方も自然に曲がった。


しかし、最後はまっすぐ突き進んだ。

勝敗が決したあと、錐もみのように東軍に突っ込んで突破し、最後には80人しか居なかった。


完全試合目前の投手を交代させ、

「いっぱいいっぱいだったから」 「指にマメができたから」 「血がでていた」などと、

苦しい言い訳を繰り返し、優勝したのに非難されている。

そんな私は、「最初から胴上げ投手は岩瀬と決めていた」の一言で突破したかった。

義弘先生に習いたかった。
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先生 武田晴信/生徒 藤波孝夫

2007/10/29 19:14
力と才覚で甲斐の国をまとめあげていった信虎。

事の真偽は分からないが、

農民を斬って遊ぶなどの切れた一面を持っていたらしい信虎。


その父親を追い出して、国境を封鎖してしまった晴信。



『誰かをかばっている』『誠実な人』『将来の総理候補』・・・・・・。

いろいろいってもらったが、世間が分かってくれると信じて戦った自分。

でも、他人を蹴落とすことはできなかった自分。

そんな自分は武田晴信に習いたかった。
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先生 土方歳三 /生徒 亀田志郎

2007/10/28 00:00
京都で壬生狼と恐れられ、嫌われた新撰組。その集団の副長 土方歳三。

内部の敵を暗殺し、切腹を多用して規律を重んじ、寄せ集め集団を律した土方歳三。


時代はすぐに流れて、江戸城無血開城、近藤勇の斬首。

宇都宮、会津、仙台、北海道とどこまでも抵抗を続け、最後も戦いながら死んだ。


自分の掲げてたものが崩れ去り、孤立無援でどうしようもなく、

本当は謝るべきなのが分かっているけど出来ず、息子に任せて隠れた私は、

土方先生に習いたかった。

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大石内蔵助

2007/10/23 23:08
もう少しすると、今年も又どこかのテレビでやるであろう『忠臣蔵

荒れる部下たちを何とか押さえ、言いたい事を腹に押し込み、

最後には行動で本意を示し、結果を出した大石内蔵助


嘘で塗り固めた餅を売り、知りませんでしたと言いのける。

そして追い込まれると、前言を撤回して部下のせいにした。

そんな私は、大石内蔵助に習いたかった。



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坂本竜馬

2007/10/21 10:53
歴史上の人物で誰が一番好き?って聞かれると、

「竜馬」 「坂本」 って答える人がかなり多い。

もしかしてらNO1の人気者かもしれない。


新しいものや考え方、システムに触れ、自分なりに解釈し、現実の世界と見比べ、

「やらないといけない」と感じた事を実行していった。そして暗殺された。

理を説き、情に訴え、犬猿の仲の薩長に手を取らせた。

嫌な人から遠ざかり、面倒なことを遠ざけて後回しにし、人と人を繋ごうとする気持ちが皆無な自分は、

坂本竜馬に習いたい
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真田昌幸

2007/10/20 00:53
歴史ファンに中でも人気が高い真田幸村。 そのお父さんが真田昌幸

自分は昔、家康と喧嘩した事がある。嫁は三成の嫁と姉妹。

長男は家康の最重要家臣(本多忠勝)の娘を嫁にしてる。

次男(幸村)は、三成の大親友(大谷刑部)の娘を嫁にしてる。

この状態でどっちに付くかの判断を迫られた。

それで、自分と次男は三成側、長男は家康側についた。


よく、「どちらが勝っても家は残るように家族がそれぞれの陣営に分かれた」って言われるけど、

単に、親子3人の縁の深さによって分かれた気がする。


戦略を間違えず(身の丈に合った戦い方)、分かり易いスローガン(六文銭の旗)で社員を鼓舞し、結果を出し続ける。

仕事で大きなところばかり狙い、結果を出せない自分は、

真田昌幸に習いたい
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あの人に習いたい

2007/10/17 18:02
『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』

所詮、「愚者」の自分は、ぶつかって、転んで学ぶしかない。


「先々は見えないのだから、遭遇するものに柔軟に対応するしかない」が俺の持論。


でも・・  もし・・

何か学べるものがあって、これから起こること、目の前の問題を解決するのに役立つなら、

『学びたい!!』

そんな動機で歴史を学んだ俺が、したためていきます。

(続くかどうかは自分でも分からない)
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